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がんばるってすばらしい?!


がんばっている人を見ると応援したくなりますよね。

そして自分もがんばろうって思います。


何かへの意欲を表現するときも「がんばります!」って言いがちですし、エールを送りたい相手には「がんばってね!」ってよく声をかけます。


でも、フラワーエッセンスを使うようになって、意識的にその言葉を使わなくなってからは、わたしにとって「がんばる」という言葉は、とても縁遠いワードの一つになりました。




がんばりすぎる人のためのエッセンス「Oak(オーク)」


画像:Healing Herbs

バッチフラワーエッセンスの中に、「オーク」というエッセンスがあります。


英国人はオークの木が大好きなのだそうですが、わたしたち日本人にとっても、家具などでよく目にする人気のある木です。


DIYをする人は、ペイントのカラーでも「オーク」の色が好きという方もいるかもしれませんね。


和名はナラ。


樹齢は300年から1000年と長く、大木になる木です。


オークの実は、わたしたちにもとっても馴染みのある、あの、どんぐりです。


そしてオークの木は、先に書いたようにとても樹齢が長く、たとえ幹の中心部が朽ちてしまっても、生きている枝から新芽を出し続けて、虫や鳥、動物たちに棲家と食べ物を与え続ける、そんな生き方をするのだそうです。


こうしたオークの木の生き様になぞらえて、オークのフラワーエッセンスは、


「働きすぎて疲れ、消耗しきっているのに、弱音を吐かない人」

「我慢強く辛抱してしまう人」

「疲れをものともせずに努力し続け、決してあきらめない人」

「他の人の重荷を肩代わりしてしまう人」

「健康上の理由などで自分の義務が果たせなくなったり人を助けられなくなったりすると不満に思う人」


こんな人におすすめのエッセンスとされています。


フラワーエッセンスを勉強したての頃は、上に書いたようなオークの状態を「なぜダメなんだろう?」と思ったものです。


がんばって努力して、人の役にたつことのどこがいけないの?

他の人の重荷まで肩代わりしてあげるなんて、偉すぎるでしょ?


なんなら、

わたしもそうありたい。そうあらねば!くらいに思っていました。


でもちゃんと、エッセンスの説明には続きがありました。


人格レベルでがんばりすぎてしまい、ダウンしそうになっても決してあきらめない」と。


そう、〝人格レベルで〟というのが問題だったのですね。




3つで1つのわたし



わかりづらいかもしれませんが、ここで言う〝人格〟について少し説明をさせてください。


あなたは、〝自分〟をどう認識していますか?


わたしだったら、「伏見まゆみ=自分」ですよね。


そして、その「伏見まゆみ=自分」をもう少し細かく見ていくと、「伏見まゆみ」という体と、「伏見まゆみ」という心に分けることができそうです。


体が勝手に悲しんで涙を流すわけではなくて、心が悲しんだから、体が反応をして涙を流すわけです。


心が「やりたくない」と思っているのに行動してしまうから、体が拒否反応を示して胃痛を起こしたりするわけです。


だから、体と心。


そしてもうひとつ。


魂という存在があります。


呼び方はいろいろで、魂と言う人もいれば、スピリチュアルな言い方ではハイヤーセルフなどとも言われますし、バッチ博士は「高次の自己」と言う言葉を好んで使われていたようですし、はたまた神と言う人もいるかもしれません。


わたしの場合、人生において誰も魂の存在なんて教えてくれなかったので、フラワーエッセンスに出会うまで、魂というものが存在していることも、魂が宇宙の源とつながる存在(はたまた宇宙の源そのもの)であることも、まったく知りもしないし想像したこともありませんでした。


だから、その概念や感覚が腑に落ちるまで、ずいぶん時間がかかった気がします。


で、〝人格〟ってなんなの?ということですが、ここまでの説明で出てきた「心」が人格です。


つまり、「自分」と思い込んで人生を築き上げてきた存在こそが人格。


「あそこにたどり着くためにはここを右に曲がらないと!」と思って曲がったのは人格のしたこと。

「今年は絶対にこれをやり遂げよう!」と目標を立てたのも人格のしたこと。

そこに向かって計画を練って、目標をひとつ一つクリアしていったのも人格のしたこと。


あれこれ計画立てて積み上げていくのってとても楽しいし、達成した時の充実感も絶大です。


でも、時に苦しくもある。


苦しみを乗り越えたからこその喜び、という表現もありますが、できれば苦しみなしで達成できたらありがたいなと思ってしまいます。


まさにその、「苦しみを自分に課しながらも、目標に向かって何があっても突き進んでいくのだ!」という状態こそが、「人格レベルでがんばってしまう」ということなのですよね。


「それのどこがダメなのさー!」


わかります。とっても。わたしも人格レベルでずっとがんばってきたので。


だけどですね、こういうことってありませんか?


「たいして努力していないのにうまくいっちゃった」

「偶然に偶然が重なって、思いもしないいい結果になった」


これが、魂と共にある状態。

人格を手放して、魂にゆだねる状態、宇宙の流れにまかせる状態です。


そしてこういう状態は、とても心地よくて、楽ちんで、満たされた感覚もするはずです。


存在を忘れがちな魂と、自分自身だと思い込んでいる人格、そして、人格の反応を忠実に反映してくれる体。


この3つで〝わたし〟という人間が成り立っているんだよという、長い説明でした。





がんばっているのに苦しい…のならば

オークに頼ってみて



話をオークのエッセンスに戻しましょう。


人格レベルで物事をがんばりすぎてしまうと、何がいけないのか。


ズバリ。宇宙の流れに全力で逆らってしまっている状態だからです。


川の流れに沿って下っていけば、力はまったく不要。

ただ浮かんでいればいいだけですが、流れに逆らおうとしたら、ものすごい勢いで泳がなければなりません。


これをやってしまっているということですね。


力を抜いて、流れにまかせたらいいのに、それができない。全力で逆方向に泳いでしまう。


そんな状況にある時に、オークのエッセンスが、ふっと肩の力を抜かせてくれます。


その結果どうなるか。


「目指していた目標をあきらめる」とか、

「ぜんぜんやる気がなくなってしまう」ということが短絡的に起きるわけではなく、


「がんばらずに、宇宙の流れにまかせることで目標に到達する」


このことが信じられるようになって、忍耐強くそれを待てるようになる。


そんな感じでしょうか。


ですので、「あれこれがんばっているのに、どんどん辛くなってしまう(がんばるから辛くなるのですけれどね)」という方は、一度、オークに頼ってみるのもアリかもしれません。


まぁでも、「人格レベルでがんばる」ことも悪いことではないなと、わたしは個人的に思っています。


何事も経験。


がんばって苦しんで、逆流して、という経験も、魂はきっと味わってみたいのですよ。




さて。


ずいぶん長くなりましたが、オークというエッセンスの一般的な作用を説明しました。


次回は、「実はオークは利他の精神で存在している。だからがんばってもまったく苦しくないのかもよ?!」という内容を予定しています。


ということで、次回も引き続きオークのお話です。













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