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多かれ少なかれ みんな〝アグリモニー〟


〝明るくて、ひょうきんもので、太陽のような人〟


そんなすてきな人にたくさん出逢います。


友人も多くて、いつも周りに人がいて、とても楽しそうです。


多少の嫌なことも、「そんなこともあるよね」とポジティブに変換して、笑いながら前向きに人生を切り開いていく。


こういう人の波動はとても軽くて明るいので、たくさんの人が惹きつけられます。

そしてもっともっと、友人も、楽しいことも増えていくのです。


一度きりの人生。

そんなふうに生きていけたら毎日が楽しいだろうな!と思います。


とはいえ人間なので、〝つねにポジティブに!〟とは、なかなか。


違和感を覚える出来事が起こることもあるでしょうし、悲しくなることだって、怒りが出ることだってあるでしょう。

体調を崩してメンタルがガタ落ち…なんてことも珍しいことではないと思います。


そんな時は、無理して気丈になんてしていないで、泣いたり、怒りを爆発させたり、落ち込んだり、寝込んだりしたらいいんだと思います。

それが〝自分に素直になる〟ってことですから。




出さなければ溜まる一方



ところが。


辛さや苦しさを表に出せない。

悩みや苦しみを人に打ち明けることができない。


そんな状態になってしまうことも、わたしたちにはよくあることです。


辛さや苦しみが自分にとって深刻なものであればあるほど、人に言えない。

その辛さや苦しみと向き合うこと自体がつらくて、どうにかして忘れようとする。

忘れるために、気を紛らわせるために、友人と一緒に楽しいことをして過ごそうとする。

人によっては、お酒に頼ったり、甘いものが手放せなくなったりして、〝依存〟を深めてしまうこともあるかもしれません。


そうやって〝楽しさ〟の影に隠れて見えなくなった〝苦しみ〟は、どうなるのでしょう? 


消えてしまう?


いえいえ、これがですね、ちゃんと自分の深いところに仕舞い込まれていくのですよ。


紛らわせる行為を繰り返すうちにどんどん奥深くに沈んでいって、意識では認識できない〝無意識の領域〟にしっかり格納されていきます。


表面上は見えなくなったとしても、消えることはありません。

いつもどこかズーンと重たくて冷たい感情が自分の中にあって、それが気持ち悪くて、紛らわせたくて、また楽しいことを探してしまう。そんなループに陥ってしまうのですね。


食べ物だって、体のなかに入ったら、最後は不要物として排出します。

それと同じで、感情もちゃんと外に出していかないと溜まっていく一方。

食べ物は永遠に体に溜め込んでいくことができないけれど、感情は結構溜められちゃったりするんですよね、これが。




ザワっとした時が出しどき



さて。


無意識の領域にしまい込んでしまった重くて冷たい感情。

そのまましまっておいても良いのですが、ある出来事がキッカケになって引っ張り出されちゃうことがあります。


嫌な記憶と同じような出来事を追体験するとか、体調不良や病気、ケガという形で体に強制的にストップを掛けられる、などといったことがキッカケになって、ふわっと。


すると、


なんかザワザワする

見たくない

逃げたくなる


そんな気持ちになってしまうのですね。


フラワーエッセンス講座や個人セッションの際によくお伝えするのですが、しまい込んだ感情が出てきたら「おめでとう!」。嫌な気持ちがするけれど、本当に心から「おめでとう」なんですよ。


重たいものを引きずったまま生きていくのって、結構大変です。

それが当たり前になってしまっているから気づかないけれど、消えてなくなった時の軽さといったら!


学生の頃だと、期末テストが終わった時のあの開放感みたいなもの。

大人だったら、提出しなければならない資料を提出し終わったときのほっとした感じ。

確定申告が終わった時のあの清々しさみたいなもの。

そんな表現で、なんとなく感じていただけるでしょうか。


そして、しまい込んだたくさんの感情は、誰にでもある。そう断言できます。





心の葛藤を引き出す〝アグリモニー〟



庭に咲くアグリモニー

バッチ・フラワーエッセンスのなかに「アグリモニー」というエッセンスがあります。


〝心の葛藤を無意識レベルで隠してしまい、必要以上に明るく振るまってしまう〟


そんな時に使うといいエッセンス。


うかspice+では、個人セッションの際に使うことが比較的多いエッセンスである一方、使い方にとても気をつけているエッセンスでもあります。


というのも、「アグリモニー」のエッセンスが、しまい込んだ感情を引き出すトリガーになってしまうことがあるからです。


多いのは、見たくない心の葛藤を見させられるような出来事が実際に起きてしまうという現象。


向き合うことはそれなりにしんどい作業なので、ご本人に心の準備というか、覚悟というか、そういったものが芽生えていない段階では相当つらいのではないかと思っています。


それでも、妙な確信で「このかたはもう大丈夫。きっと向き合える」と感じてアグリモニーを調合することもあります。調合させられている感じに近いでしょうか。


まぁ、わたしの危惧しているレベルを遥かに超えて、宇宙はすべてバッチリ動いているので、その方がまだタイミングでない場合は、たとえアグリモニーを調合したとしても波動共鳴は起きずに流れていってしまうだけなんですけどね。


今月の個人セッションでも、何人かの方はアグリモニーを必要とするタイミングを迎えられて、実際に追体験をして向き合っていらっしゃいます。きっと、大きな感情のしこりが溶けて、光が差し込むのを感じられるのではないかと思っています。


生きている以上、心の葛藤は必ず生まれます。


フラワーエッセンスの生みの親であるバッチ博士は、「葛藤と向き合って魂を成長させていくことが、生きることそのものである」という意味合いの言葉をたくさん残しているんですね。


また、「人間は、物質に意識を向け過ぎている。非物質である心の領域を見ることをやめてしまったから、病は消えることがない」。そんなふうなことも言っています。


バッチ博士の時代より100年近く進んだ今、当時よりも娯楽の種類は増えています。今後さらにバーチャルな世界へと領域が広がっていくなかで、ますます心と向き合うチャンスは減っていくのだろうと思います。


楽しく生きているつもりで、大切な部分を見落としてしまう。


深刻になる必要はないけれど、わたしも、「タイミングが来たら向き合うんだ」とういう覚悟はどこかで持っていたいなと常々思っています。


〝自分〟という人間をしっかり生き切るためにも。
















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